
Title: History and future prospects of the Palestine issue and Japan’s peace promotion cooperation

- 日 時 2024年5月12日(日)13:30 – 15:00
- 会 場 浦安市国際センター研修室1と2連結
- 主 催 千葉県JICAシニアボランティアの会
- 共 催 JICA東京、浦安市国際センター
- 後 援 千葉県、浦安市
- 講 師 元JICAパレスチナ事務所長他 成瀬 猛 (Takeshi Naruse) 氏
- 演 題 パレスチナ問題の経緯と今後の展望・日本の和平促進協力
講師がJICAに関わったのは、1977年に青年海外協力隊としてシリアのラッカに赴任したのが最初でした。その後、イラク、エジプト、パレスチナ(イスラエル)と、通算すると10年間以上、中東で生活しました。JICAに社会人採用で入構し、2001年から約6年間、JICAパレスチナ事務所の所長を務めました。JICA退職後、麗澤大学教授、立命館大学客員教授を歴任しました。講演は、分かり易い概要口頭説明、PowerPoint資料による詳細説明、それにビデオによるご自身の活動紹介から構成され、理解しやすく興味深いものでした。
The instructor first became involved with JICA in 1977 when he was assigned to Raqqa, Syria as a member of the Japan Overseas Cooperation Volunteers. After that, he lived in the Middle East for more than 10 years in Iraq, Egypt, and Palestine (Israel). He joined JICA as a working adult and served as the director of the JICA Palestine Office for about six years from 2001. After retiring from JICA, he served as a professor at Reitaku University and a visiting professor at Ritsumeikan University. His lecture was easy to understand and interesting, consisting of an easy-to-understand oral overview, a detailed explanation using PowerPoint materials, and a video introduction of his own activities.
講演概要, Lecture summary
パレスチナ問題は宗教の争いではない。問題の根底は、一つの土地をめぐる二つの民族(コミュニティ)の争い(パレスチナ・アラブ人とユダヤ人)である。とはいえ、宗教も関わっている。聖地エルサレムはなぜ三つの宗教の聖地なのか?経緯をたどると紀元前にまでさかのぼる。アブラハムは神の啓示を受けて約束の地カナンへ旅立った。そして、神からこの地を与えられた。アブラハムには二人の息子がいた。セム族の異母兄弟であり、長男イシュマエルは全てのアラブ人の先祖、ユダヤ人は次男イサクの息子ヤコブ(またの名はイスラエル)の子孫であるとみなされている。エジプトにいるヘブライ人は奴隷状態にあった。

「出エジプト記」によれば、モーセは神の命令によってエジプトからヘブライの民を引いて脱出し約束の地にたどり着いた。モーセはシナイ山で神から十戒を受けたとされる。ユダヤ人の苦難は歴史に残っている。紀元前、バビロニア地方へ捕虜として連行されたバビロン捕囚(最初は紀元前597年)があった。エルサレム神殿は紀元前10世紀頃から建てられていたが、ユダヤ属州のユダヤ人とローマ帝国の間に起こったユダヤ戦争(西暦70年)でエルサレムは炎上し、神殿は破壊され西壁のみが残った。これが現存する「嘆きの壁」だ。第二次世界大戦中にナチス・ドイツがユダヤ人に行ったホロコーストがある。19世紀には、ユダヤ人の民族意識の高まりからシオニズム運動が起こり、パレスチナへの移住が始まった。裕福なユダヤ人が多かったのでパレスチナ人が所有する土地を買い取った。この時代で一番の悪党はだれだったか?イギリスの第一次世界大戦における中東問題をめぐる外交政策である「三枚舌外交」だ。イギリスは三つの協定を結んでいた:フサイン=マクマホン協定(中東のアラブ独立・公開)、サイクス・ピコ協定(英仏露による中東分割・秘密協定)、バルフォア宣言(パレスチナにおけるユダヤ民族居住地建設・公開)だ。これにより第二次世界大戦後のパレスチナ問題が生じることになった。
国連パレスチナ分割決議(1947年)、イスラエルの独立(1948年)を契機に第1次中東戦争が起こり、パレスチナ難民が発生した。中東和平に向けてキャンプ・デービッド合意により占領されていたシナイ半島はエジプトに返還された。しかしパレスチナの自治については協議が決裂した。1993年にイスラエルとパレスチナ解放機構の間で同意された一連の協定はオスロ合意だが、協定で明文化されたイスラエルとアラブ国家の関係正常化の期待はまだ解決されていない。この間にもイスラエルによる入植地拡大が続いた。イスラエルに対するパレスチナの蜂起を意味するインティファーダが起こった。失望した多くのファタハ派がPLOを離れ、ハマスやイスラム聖戦に参加したため、PLOは大きく分裂した。ガザ地区はハマスの実行支配下にある。2018年、アメリカはガザ地区をテロ国家として、駐イスラエル大使館をエルサレムに移転した。これを受けてパレスチナ住民が武装デモを行った。100人以上のパレスチナ非武装市民がイスラエル軍により殺害されたとの声明が出された。2021年、ハマスのイスラエルの攻撃が激化、1600発以上のロケット弾を発射した。イスラエルも600回以上の空爆で応戦した。2023年、ハマスはガザ地区からイスラエルに2000発のミサイルを発射し、同時に国境を越えてイスラエル南部の野外音楽イベントなどを襲撃した。この襲撃で、1300人以上の非武装市民が虐殺された。イスラエルはガザ地区の空爆を開始した。ガザ地区の死者は3万5千人を超えている。市内は不衛生極まりない。食料もない状態だ。イスラエルはパレスチナを神から与えられた土地と信じているので国際法など関係ない。イスラエルのネタニヤフ首相の兄のヨナタン・ネタニヤフは1976年のエンテベ空港奇襲作戦で唯一殺された事もあり、パレスチナに譲歩しようとはしない。

私はパレスチナに6年位居た。当時、イスラエルも魅力のある国と思っていた。日本は政治的にパレスチナとイスラエル両者に対して中立だ。この立場は現在でも各国に尊重されている。日本の中東和平政策として、パレスチナ支援、パレスチナ難民支援、「平和と繁栄の回廊」、各種信頼醸成支援が考えられる。次に「平和と繁栄の回廊」構想について紹介したい。イスラエル・パレスチナはヨルダンと接している。イスラエルとヨルダン国境のシェイク・フセイン橋と国境施設の改善、パレスチナとヨルダン国境のダミヤ橋架け替えと国境施設改善、同じくアレンビー橋と国境施設改善、パレスチナとヨルダンに農産業団地を設置し農産物加工・物流拠点にする。上記の橋を利用して物流を促進させ、ヨルダン経由でパレスチナ農産加工品等を湾岸諸国、周辺国、欧州に輸出する。さらに、ガザと西岸を連結し、ガザのサラディーン道路と結ぶ。中東地域には観光資源が多いので観光開発と振興を行う。このようにして、エジプト-ガザ-西岸-ヨルダンを結ぶ「平和と繁栄の回廊」を作り上げる。このような農業と観光による相互交流と信頼醸成の構想はイスラエルとパレスチナの共存共栄に結びつく。この構想に関わる国はイスラエル、パレスチナ、ヨルダン、そして日本だ。私は、このような構想を当時の緒方貞子JICA理事長に提案した。
中東和平達成の為に日本だから出来ること:(1) 平和国家日本の国民だからこそパレスチナ問題に常に関心を払う事、(2) パレスチナ、イスラエル両国への偏見を無くし、和平の仲介者としての中立性を維持する事、(3) 唯一の被爆国として、常に平和の重要性を発信する事、と考える。
Things that Japan can do to achieve peace in the Middle East: (1) Always pay attention to the Palestinian issue because we are citizens of Japan, a peaceful nation. (2) Eliminate prejudice against both Palestine and Israel and maintain neutrality as a peace mediator. (3) As the only country to have suffered from atomic bombings, we must always communicate the importance of peace.